12月1日 朝6:45 学校にて♪

 自分の周りの人、とても大切な人達。その人達に何か不幸が訪れた時、誰もが共に悲しむもの。相手の事を心配したり、励ましたり。一緒に悲しむ事が出来る。悲しみは分かち合える。

 しかし、他人の喜びを分かち合うのって、意外と難しい。悲しんでいる時は、自分の事の様に一緒に悲しんだのに、同じ相手が喜んでいる時、果たして同じように一緒に喜んで上げられるのか?
どれだけの人が、人の喜び、悲しみを同じように分かち合えるのだろうか?

 少し話が違うのかもしれないが、親の借金、親の遺産、この二つの言葉を聞いてどう感じますか?この感じ方の違いが、先ほどの話に通じるものがあるのではないか?
人は不幸な事の方が敏感に反応してしまう。他人の幸福には無関心だったりする。どうしてなのか?

 これは、不幸な事を幸福な事よりも、より身近に感じるからではないのか?
生きていく中で誰もが辛い思いや、悲しい思いをする。その自分の経験してきた事を思い出し、共に悲しむのでしょう。しかし、幸福な事だってあるはず。人生には辛い事もありますが、楽しい事や嬉しい事だってたくさんあるのに、どうして人の喜びを自分に重ねる事が出来ないのか?

 それは、人間が幸せな事に気付き難いからだと思う。それだけ、人間というものは欲深いからなのでしょう。だから、人の喜びを自分の事のように感じる事は難しいんだと思う。

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yas

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